どうも管理人です。今回でドキュメンタリーシリーズの5話目になります。私はいままでの記事で脳卒中になってしまった要因について書いてきました。今回は私が脳卒中を発症した状況について書いていきます。その状況というのが複数人から暴力を受けた際に脳卒中を発症しました。まさか自分が脳卒中になってしまうなんて思いもしませんでした。しかも障害が残るなんてその時は考えもしませんでした。
【ノンフィクション】しんしょードキュメンタリー⑤ 集団リンチで暴行受けて脳卒中になりやがれ
目次
- 1 【ノンフィクション】しんしょードキュメンタリー⑤ 集団リンチで暴行受けて脳卒中になりやがれ
- 2 私が脳卒中になってしまった状況を打ち明けていこうと思う
- 3 前書き
- 4 この激しい頭痛はナニ?、暴力、それとも脳卒中の前兆か、
- 5 ヘラヘラ笑いながら殴りかかってきたA君
- 6 授業中でも増幅する心の痛み
- 7 痛みの報復。鬱憤が晴らせました。
- 8 1対3のボコられフラグ、始まる集団リンチ
- 9 2人から拘束されて殴りダコ
- 10 四体を押さえつけられて殴りダコ
- 11 無抵抗でも殴りダコ
- 12 無抵抗から関節技、骨が逝ったと思った
- 13 骨折かも?体のどこかが逝っちゃった異音
- 14 突如消えた痛覚、腕がもげたのか
- 15 めまい、うつ伏せに崩れる
- 16 意思とは裏腹に、手が動かない、足も動かない、立ち上がることができない
- 17 手が動かない、四つん這いなれない
- 18 足が動かない、立ち上がることが不可能
- 19 死んだ方がマシと思える頭痛
- 20 声が出ない、クラスメート達に置いていかれる
- 21 意識を失う。
- 22 あとがき
私が脳卒中になってしまった状況を打ち明けていこうと思う
前書き
あれは忘れもしない2002年3月頃のことです。当時小学生だった私は小学校に通っていて、強烈な頭痛と全身の痺れで立ち上がることすらできなくなってしまいました。
教室の中で倒れる、立ち上がれない、声が出ない、
教室で倒れ込むなか、次の授業に向かうために移動していくクラスメートたちがひとりまたひとりと教室から出ていくのがゆっくりみえました。私は声を出したつもりだったのですが声すら出なかったようで誰も駆けよってくれる人はいませんでした。そして意識を失いました。
病院に搬送、1ヵ月意識なし、2カ月の入院生活、
意識を取り戻した時に見慣れない天井がまず真っ先に視界に入りました。母さんが横にいました。母さんから”病院に入院しているんだよ”と言われて初めて状況が理解できるようになりました。ベットの上で安静にしているはずなのに死ぬほど痛い頭痛が襲ってきました。その激しい頭痛は小学校にいる時と同じ痛みであの出来事が夢ではなかったのです。痛みとともに現実に突き戻されてました。
この激しい頭痛はナニ?、暴力、それとも脳卒中の前兆か、
脳卒中が発症する当日はいつものように通学路を通って小学校にいきました。卒業式が間近に迫っているということもあり変則的な授業になっていました。学校に着いて急に頭に鈍い痛みが襲ってきました。誰かが後ろから急に殴りかかってきました。
ヘラヘラ笑いながら殴りかかってきたA君
後ろを振り返るとA君がいました。A君にこんな酷いことをされる理由も思い当たりませんでした。ヘラヘラ笑っているA君の顔を見てとても腹立たしい気分になりました。頭の痛みもありましたが心も痛みました。
授業中でも増幅する心の痛み
A君に殴られてすぐに授業の予鈴が鳴り席に着きました。授業を受けていると頭の痛みは徐々に和らいでいましたがA君を許すことができませんでした。とてつもない頭の痛みだった本気で殴ってきた。それも後ろから。
痛みの報復。鬱憤が晴らせました。
休み時間になるなりA君に同じことをやり返して報復しました。A君が苦痛の表情をみせて鬱憤が晴らせました。(あれから数十年という時間が経ちましたが報復してしまったことについて申し訳ない気持ちになっています。)
1対3のボコられフラグ、始まる集団リンチ
私が報復をするとA君は体格の良いB君・C君を連れてきて私に仕返しをしてきました。ケンカまでとはいかずいつものようにじゃれ合うだけかと思いきやかなり過激な仕返しを受けることになってしまうのです。
2人から拘束されて殴りダコ
B君・C君は私の両手を押さえつけてきて抵抗のできないでいる私をA君が殴りつけてきました。1対3の絶対不利の取っ組み合いでせめてもの抵抗で足をバタつかせて苦し紛れの抵抗をしました。
四体を押さえつけられて殴りダコ
足を使って抵抗していましたが、足を蹴られて転ばされてしまいました。転ばされてB君・C君は足まで抑えつけてきました。私の両手足を押さえつけられて文字通り手も足も出なくなり抵抗からあがくこともできなくなってしまったのです。
無抵抗でも殴りダコ
あがくことさえできない私をA君はたくさん殴りつけてきました。抵抗しようにもどうすることもできませんでした。頭がカチ割れるような死んだほうがマシと思える頭痛がしました。
無抵抗から関節技、骨が逝ったと思った
身動きを封じていたB君・C君が腕を捻りちぎってきました。体中が痛み出して痛みました。
痛い!痛い!痛い!痛い!
ただ”痛い”と叫ぶしかなかったのです。そのとき痛みに耐えかねてドーパミンとかアドレナリンみたいなものが分泌されて痛覚の感じない細胞が最強状態に覚醒しました。
骨折かも?体のどこかが逝っちゃった異音
ブチィィィーンッ!!
どこかからブチーンっと輪ゴムの切れたような音が聞こえました。当初それが何の音なのか理解できませんでした。ヤバい、関節技で骨折れたのかもしれません。
突如消えた痛覚、腕がもげたのか
”ブチーン”と音がしたと思ったらさっきまでの頭痛と関節の苦痛が消えました。A君は相変らず殴ってくるし切れちゃったと思った両腕はB君・C君が捻じっているというのに”痛みがない”不思議な現象でした。んあんだかすごく気分が悪くなってきました。
めまい、うつ伏せに崩れる
激しい目まいに襲われました。全身に力が入らずに座っていることもできなくなりました。そして座りながららうつ伏せに倒れました。体力テストの長座体前屈みたいな姿勢とでもいいましょうか。めまいと脱力感からか断片的な記憶しか残っていませんがいつのまにか集団リンチしていた3人組が姿を消していました。集団リンチはついに終わったのです。
意思とは裏腹に、手が動かない、足も動かない、立ち上がることができない
次の授業に向かうために廊下にクラスメートたちが集まり始めているのがみえました。私もクラスメートたちのところに向かおうとするものの体が思うように動きませんでした。手足がくっついてるのになんで手足が動かないんだろう。
手が動かない、四つん這いなれない
”きっと痛かったからうまく立ち上がれなかったんだ”と違う方法で立ち上がろうとしました。四つん這いになって立ち上がろうとするものの片手が折れてしまったかのように変な方に向いていて四つん這いができませんでした。”どうしちゃったんだ私の体は!?”
足が動かない、立ち上がることが不可能
手が動かないとわかり足掻きました。うつ伏せの状態からなんとか寝返りをうち、跳ね起きの反動を使って立ち上がろうと試みました。片足は地面を蹴って立ち上がろうとしてくれましたがもう片足は意思とは反して足を投げ出したままでした。足まで思い通りに動いてくれなくなりました。私は結局バランスを崩して倒れていました。
死んだ方がマシと思える頭痛
”何かがおかしい、なんで動いてくれないんだろう、夢でも見ているのか、きっと悪夢でも見ているだけなのかもしれない”ひとりで立ち上がることができなくなってしまいました。さっきまでなんともなかったのに頭が再び痛み始めました。硬い棒状のもので何度も頭を打ち抜かれているような鈍い痛みです。これが本当に死んだ方がマシと思えるぐらいの頭痛でした。スイカ割りのようにいつ頭が割れて真っ赤な脳みそが流れ出てもおかしくないような瀕死体験でした。
声が出ない、クラスメート達に置いていかれる
教室で倒れ込むなか、次の授業に向かうために移動していくクラスメートたちがひとりまたひとりと教室から出ていくのがゆっくりみえました。私は声を出したつもりだったのですが声すら出なかったようで誰も駆けよってくれる人はいませんでした。
意識を失う。
そして意識を失いました。
あとがき
あのとき確かに聞こえたブチィィィーンッ!!という音は何だったのだろう。といまでも疑問に残っています。意識を失った後に私は教室に駆けつけてくれたクラスメートに発見されて病院に搬送されました。医師からは脳内の血管が切れたのだと説明を受けました。
ブチィィィーンッ!!という音が頭の中から出たその音を耳で聴きとるというのは考え深いもので幻聴だったかもしれません。この音を聴いたのが16年前になります。それから私は欲しくもない障害を抱え”しんしょー”というクソみたいな人生を謳歌しています。どうしてこんなに人生って楽しいんだろう。
この16年の間に環境は変われどいじめは存在していじめに耐え続けてました。社会的な地位もなくなりました。誰が悪いの?暴力的な子供の親?暗いことは考えないようにしています。